何カ月か前に、人が横断歩道で車にはねられて倒れているのに、その場にいた高校生らしき人たちが数名、そのまま何事もなかったように横断歩道を渡っていく映像をテレビでみたことがあります。素知らぬ顔で横断歩道をわたっていくその人たちにビックリするやら、寒気がするやら。かなりの衝撃を受けたことを覚えています。その時は、自分の周りではこういうことは起きない、経験しないであろうとおもっていたのですが、事の大小関係なく、悲しいかな、最近当塾で経験してしまいました。
事の発端は、ある生徒がカウンターで本を読んでいるときに、そのカウンターの下においてあった将棋盤を落とし、その中にはいっていた将棋の駒を床に散らかしたことにはじまります。その時、カウンターでは、4名ほどの生徒が同じように肩を並べてすわって本をよんでいました。駒が散らかった時かなりの音がしたので、背をむけていた私もすぐに気づくほどでした。その瞬間、何がおきたのか。そうです、ご想像どおり。駒を落とした生徒以外皆知らんぷり。我関せずそのまま本を読み続けます。駒はその子たちの足元にもちらかっています。それでも誰一人動きません。落とした人が悪い、落とした人が拾えばいいんだ、といった心の内が透けてみえました。我々は学習内容については、出来る出来ないで叱ることはありません。でも今回の事は、叱っておかないと、いや、叱るというよりも伝えないといけないと思い、声を大にしていいました。勉強だけできても、思いやりのあることができないと何にもならない、普段の生活の中から、他人から学ぶという姿勢をもたなければ、学力は向上しないと。この生徒たちは小学生ですので、素直に受け止めてくれます。これを放っておくと、中学生になるころには、掃除一つとっても、掃除をするのは損だ、しないと得、お土産は無料でもらえるから得だ、お土産の数がたりなくてもらえなかったら損だと損得で考えるようになります。こうなっては遅いので、なるべく小学生のころから、他人を通して自己を知る、自己を向上させるということを学んでほしいとおもっています。この話にはまだ続きがあります。拾った駒を全部あるかたしかめなさい、といったところ、確かめたというのですが、結局駒が一つ床にのこっていました。テストを受けるときに答えをたしかめなさいとよくいうのですが、日常できないことは、非日常であるテストでできるはずはないんです。塾にきて勉強するのが勉強とおもっているのなら、それは一部にすぎず、大切なことはもっと日常生活にあるということを知ってほしいとおもいます。まだまだ未来ある前途有望な生徒たちです。ですからあえて厳しいことを伝えたいとおもいます。